「あなたにとって、人生の転機とは何ですか?」
筆者の父親であるタケシさん(56才)にインタビュー
TIMELINE
粉砕骨折、
のちアメリカ
-今までの人生の中で一番大きな転機は何ですか?
就職してしばらくして、アメリカに行かないかっていう話が会社から来て、アメリカに住み始めたことかな。
-それは何歳くらいの時ですか?
アメリカに最初に行ったのは、33歳。会社がこう、行け行けっていうか。「ほら見ろ、給料もすっげえ上がるよ」つって、もう「行かない手は無い」とかって言われて。別のセンターで、同じグループ内の別の技術開発センターで新しいこと始めてるから、 それを例えば2、3年行って、また日本のセンターに戻ってきて、その仕事をリードしてほしいっていうね。
-最初聞いたとき、どう思いましたか?
異動の話が来た時は足を怪我してて入院中だったのよ。もう最初は驚いたし、足も悪いし、ちょっと考えられないかな、と思ってて。
-大きな怪我をしていたんですか??
そうだね。2000年ぐらいに山の中でクライミングしてるときに落ちたのね。全然垂直だったから体はぶつからなかったんだけど、落ちてみて気づいたら、なんか、足がちょっと曲がってる感じ。すごく痛くなってきて、で119呼んで、しばらくしたらヘリコプターでピックアップされて。甲斐駒ヶ岳だったから山梨の近くの病院に搬送されて。急には手術できなくて、次の日ぐらいに手術をしたよ。
-そのとき会社に通えてたんですか??
3か月ぐらい入院してたよ。その時は心細かったね。お金もどんどん無くなるしね。無給っていうか、給料も出なくなってくるからね。左足首の粉砕骨折でしばらく入院してて、しばらく車椅子で。でも車椅子じゃなくてどんどん松葉杖の練習しなさいって言われて。
腰の骨を取って足に移植手術をしたんだけど、退院したあとにクライミングジムに行ったり、岩場へ行ったりとかしたのよ。結構登れるから無理してたのかね、骨がうまくくっつかなくて。1年後ぐらいにまた手術をして、また骨移植をして、その時に異動の話が来たね。デパートメントヘッド(部局長)も病院に来たよ。
-その時の手術は上手くいきましたか??
その時は上手くいった。結果としてね。でも、今は普通に歩けるけど、走れないね。あと、階段の上り下りとかも苦労する。足首があまり動かないから。可動範囲が狭いから。
-事前に送ってくださった足の写真、ボルトとか見えますけど。今もそうなんですか?
いや、アメリカに行って1、2年して、日本の病院に連絡して、一旦戻って除く手術をした。なんかやっぱり違和感もあるし。もしかしたら関係ないのかもしんないけど、飛行機のセキュリティチェックでも大概止められてたのね。金属が入ってるせいなのかな、とか思ったり。
-最初に異動の話が来てから、どのくらいで行こう!って決心しましたか?
3か月くらいかね。そして、付き合い始めた女性も結婚して来てくれるって言ってくれたのもあるよね。
-結婚を決めてから実際にアメリカに行くまで、どのくらいの期間が空いてましたか?
4か月かな。もう付き合い始めて数か月ぐらいで結婚を決めて、2か月ぐらいで結婚式をして。そしてその2か月後ぐらいにアメリカ。結婚するときも松葉杖。なんとなくね、行くのが楽しみになってきたよね。2人でね。